コラム3

Column
証券コラム
激動の50年

2021年3月25日 コラム3

そこまでは無理だ3,000万なら出せる。目出度く約定、支店の戻り報告すると課長以上満面の笑顔。その金額は、募集目標額のかなりの部分を占めていた。

毎月募集のファミリーファンド(確か満期7年)募集後2年経過すると換金が可能となり営業目標を達成するため、色々講釈をつけ乗り換えを勧める。対象は額面割れの回号当然額面までの追加資金と募集手数料確か5%をお支払いいただく。

何で償還まで持たせないのか?自分の割り当て分は新規資金導入で消化すると息巻いても上司から乗り換えの必要性を説かれ、いつしか自分も割り当て消化の為、情けないが乗り換え商いをするようになった。

各商品の募集額、販売額目標額各支店の営業指数によって決まっていて、未達成は許されない状況で何が何でも達成する。

ある投資信託募集で締め切り翌日に控え目標数字に届かず、消しこみといって不足数字をボードに表示約定できたら金額と担当者の名前を書き不足数字から減らしていく。
時間の経過とともに電話する相手も限られ、飲み屋のママにまで電話して消し終えたのは夜の11時過ぎだったと記憶している。

この「消しこみ」と称するスタイルは定年間際まで続いたのではないだろうか…

株式営業では、罫線「酒田五法」を先輩から教えられる。ローソク足、注目銘柄の日足をつけ始めたのもこのころで一端の蘊蓄を語っていた。

罫線を拠り所に、新規開拓に先輩に同行いただき、某上場会社の高原寮に出向く。(場所は有名なスキー場)罫線をお見せし、今が投資のチャンスと滔々と述べる。話が進み夜になってしまいこの雪道を返すわけに行かないと、一晩お世話になる。結果、後日お客様になって頂き、買い付けもタイミングとして上出来だった。

本店、大阪、名古屋等大店では、株式専従班、募集専従班とわかれていた。

地方支店ではそこまで明確ではなかったが、株式売買数出来高数の集計がうるさかった。
受け渡しベースで翌月なる前日初日商いといって、株数ベースで買い注文を予約でとる。
当時株式売買手数料は約定金額に%を掛けた算出。
兎にも角にも株式数、確かチッソが一桁の株価、一方ソニーは四桁台、チッソ〇万株取るよりソニー1000株約定のほうが手数料が上がるのに…。
若気いたりか、株数にこだわる営業がバカバカしく指示無視していると営業課長が「従わないなら担当顧客を放出せよ。俺が担当する。」とひと悶着。

業界内では、NN戦争といって上位2社が株数ベースで熾烈なトップ争いを演じていた。
某証券がスポット投信を募集しだしたのもこのころ。
特徴を持たせ、これがまたお客様から好評で販売好調。

当時の私の株式営業スタイルは、自分なりに有望と思われる銘柄を数銘柄候補に挙げ、お客様に推奨。顧客数と溜め込み株数目標を定め取り組んでいた。
指南役は前部署株式部に籍を置いていた上司の手取り足取りの指導を受けながら取り組んでいた。罫線の手ほどきを受けたのもこの上司、公私に渡りお世話になり、今現在もお付き合いさせて頂いている。
そんな中でちょっと自慢になるが、新潟の港湾関係の会社(今での会社の名前を鮮明に記憶しているが、差し障りがあるので会社名伏せます。)の株式を推奨し、ある一定の利益幅もでていた頃合いで売却。
その値が高値で、暫く会社四季報に記載されていた。新しい四季報でその会社のページを見るのが楽しみであった。日経平均は基本的に右肩上がりの相場が後押ししてくれたのだろう。

多少自信が出てきた。

その時は、今太閤の田中角栄が首相で『日本列島改造論』で盛り上がっていたなあ…

営業員の一日は概ね立ち合い時間中は株式営業。場が引けた3時から月間の営業推進事項に合わせで、主に投資信託の募集営業。目標達成まで、日割りで消化目標が示され外交に出かけるわけだが、基本は一人一人別行動。限りある社有車を同じ方向だといって相乗りで出かけるが、行先は行きつけのラーメン屋で腹ごしらえ。または、喫茶店で時間調整と言う名目の時間つぶし。三々五々支店に戻り、担当営業課長に報告。数字が予定通りでないのが常で残業は状態化していた。

この頃だろうか、NHKで夜9時からニュース9、キャスターが磯村さんNHKのアナウンサーらしからぬ語り口で人気上昇、皆で「何とか9時までに家に着きたいね。」と言っていた。


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